- ♦ 1873年生 ホイタッカー
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- ♦ 1676年 ニュートンからライプニッツへ
これは「後の書簡」といわれるもので重要な部分はアナグラムによって示されており、その解は1693年に書簡を送って示しているが、「級数と流率の方法について」であった。ここにニュートン流の流率(微分)が示されている。しかしライプニッツによる返事(1677年7月22日)は自分の\(\ dx\ \)(微分)の考え方で十分示されその方が優れているとも取れる書き方であった。このやり取りの手紙は仲介役のオルデンブルグを経由しており、ニュートンの手紙は半年以上遅れた1677年5月2日に発送されている
- ♦ 1826年 アーベルからホルンボーへ
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- ♦ 1601年没 ブラーヘ
ジェームズ6世がデンマークに航海したとき、嵐に会い停泊した海岸がブラーエの天文台の近くで、歓待を受けた。その時天文計算を自由に行う三角比の和と差の法の話が伝えられ、供をした侍医のクレッグによってネピアに伝わったのである。
- ♦ 1655年没 ガッサンディー
- ♦ 1708年没 関孝和
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