ペストの大発生により1603年12月29日以降、出生死亡の週報が定期的に発行されるようになり、彼がその統計を利用して人口の状態を知ること考えるようになった。この研究により彼は1660年11月18日王立協会の会員に選ばれることになった
グリエンベルガー、メルコート、パオロレンボの数学者及び自然哲学の教授と共にガリレイの「星界の報告」を完全に支持すると返信した